“青味”の強い濃緑色について
◆作品概要◆
【キットメーカー】アリイ(旧オオタキ)
【スケール】1/48
【機種タイプ】川西 紫電11型甲
【作品の完成】2021年05月
敗戦国の軍事兵器は、戦勝国に研究のため没収、若しくは廃棄処分されるのが世の常であり、先の大戦での日本軍機の取り扱いも同様で現存機は非常に少ないです。また、その現存機も正確な考証に基づいての保守メンテはほとんどされてきておらず、特に外装塗色については、既設塗膜での劣化もありその正しい再現は従来から飛行機製作モデラー泣かせで、現在もまだ論争が続いています。
有名な論争の一つに零戦の初期迷彩である明灰色に関する「飴色論争」があります。当時の実機を見た方の証言から残骸機の破片に残る塗装を基に色見本を再現したものの、当時を知る他の方から異論が出たりと人の遠い記憶(イメージに近い?)のやり取りに終始している状況になっています。これは色彩と言うものは、廻りの環境(背景色との対比、天候等による日照光の影響、塗装の劣化度)からの影響、製造工場(三菱製と中島製)でのわずかな仕様差異、それに当時の方々での個人的イメージや人間の記憶の曖昧さに起因していると考えます。
今回取り上げるのは川西航空機(以下、川西)で製造された紫電や紫電改の上面塗装されている濃緑色です。当時国内の戦闘機メーカービッグ2は三菱重工と中島飛行機であり、実戦配備機はこれらメーカーが圧倒的に占めておりよく比較対象とされていました。このことから水上機メーカーとして腕を振るっていたやや後発の川西で用いられていた「濃緑色」は、ビッグ2社と比較して青味が強かったとの証言が残されています。
これを受けて、’70年代の紫電改キットのパッケージアートの機体上面色は、青緑色で表現されていたのを記憶していますが、同時に見慣れぬ色に違和感を感じたのも覚えています。今回の作品はその検証を兼ねて青緑色系に調色検討して製作しましたが、やはり「しっくり来ない印象」となりました。しかし、この検証を行ったことで違う観点があることに気が付きました。
その観点とは、そもそもキーワード「青味」について正しく理解しているのかと言うことです。日本人の価値観や文化感は、戦前・戦中と戦後で大きく変わって来ていますので、“青色(あおいろ)”についても捉え方に差異が出てきているように感じます。それは、古来から“あおいろ”とは緑系色を指すことが多いということです。つまり、青々とした葉、アオムシ、青信号等の色は、青色(blue)と言うよりも彩度の高い緑色(green)/翠(みどり)色であることから現代と違って明確に区別されていなかったということです。そう考えると川西の戦闘機上面色は現代の感覚では、“青味”ではなく“翠味”の強い濃緑色を指していたとは考えられないでしょうか。当然、川西社内では海軍が示す色見本をベースに調色するため、他社ともかけ離れた色調ではNGがでますので、調色サンプルでの色味誤差は許容範囲であったと考えます。
尚、最近の新作キット(紫電・紫電改)のパッケージアートの傾向として、機体上面色はやや高彩度の濃緑色となっている様に思います。これは大戦機の象徴的存在の零戦へのイメージ寄せなのかわかりませんが、戦後世代がイメージする日本軍機の濃緑色に対する最大公約数的な傾向とその許容範囲は存在するのでは?と考えます。
最後に推測の域を出ませんが、この色味差異が発生する現象の原因について、下記に考察・仮定を挙げてみました。
【考察・仮定】
①塗装面積が拡大することによる色調差異の顕著化
②戦争末期における塗料品質の低下による色調変化
③塗装工程の簡略化(ほぼジュラルミンに直接仕上げ塗装?)による下地色の影響からの色調変化
紫電改の実物大模型の遠近写真から。(参考掲載)
・機体上面の濃緑色について日光の当り加減や距離で、暗くも見え明るくも見えます。(考察・仮定①の検証)
・下面のシルバー色との境目部分は下地シルバー色の影響により、一段と彩度の高いミドリ色となっています。(考察・仮定③の検証)
戦争末期の戦闘機の当時の写真から。
・戦争初期に比べて上面塗装が激しく剥離し、下地塗装ではなくジュラルミン地が直接露出。(考察・仮定②、③の検証)
上記の内容を総合的に観て、かつ当時のひっ迫した状況(空襲による工場施設損壊の中で戦闘機の完成数の向上を図ることが優先されたこと)も考慮に入れると、私は考察・仮定①、③が大きく起因し、川西製の戦闘機上面色はより「翠味が強い濃緑色」となったのだと考えます。
Fine
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