その軽妙俊敏、飛燕の如し(2024年)

1/48スケール
帝国陸軍 飛行第244戦隊 本部小隊 隊長 小林照彦 大尉 搭乗機
昭和20年2月 東京 調布飛行場

 本作品は、1944年(昭和19年)11月末、帝国陸軍史上最年少(満24歳)の飛行戦隊長として有名な小林照彦大尉(最終階級:少佐)の乗機です。彼は、大戦中敵機を12機(うち、1機は体当たり撃墜したB-29)撃墜しています。
 戦後、昭和20年11月1日に復員して東京の自宅に戻り、就職して勤務と並行して、昭和21年4月に明治大学法学部(二部)に入学し昭和25年に卒業。会社員としての勤務を続けながら、「日本空軍設立」の運動に取り組む。
 1954年(昭和29年)7月に航空自衛隊が創設されると会社を退職して9月4日付で入隊、帝国陸軍時代の経歴から3等空佐(陸軍少佐相当)となった。航空自衛隊幹部学校へ入校し、ふたたび戦闘機操縦者の道を進み、国内の部隊勤務を経てアメリカ合衆国に留学しF-86戦闘機の操縦教育を受ける。帰国後、浜松基地で第1飛行団第1飛行隊長として教官勤務につくが昭和32年6月4日、搭乗のT-33練習機が離陸直後に墜落し殉職(2等空佐に特進)。生涯飛行時間は約2千時間であった。

◆作品概要◆
【キットメーカー】タミヤ
【キット仕様】シルバーメッキ仕様
【スケール】1/48
【機種タイプ】川崎 三式戦闘機 飛燕Ⅰ型丁
【作品の完成】2024年09月

 基本はキット素組み。主な追加工作として、コクピット内のシートベルトの追加。プロペラの磁石脱着加工。アンテナ基部・ピトー管の金属化。尾灯のクリアーパーツ置換え。空中アンテナ線張り。本体メッキ部分は接合部処理の上、極薄金属シート貼り仕上げ。機首上部・尾翼廻り部分は塗装。撃墜数マーキング・国籍標識・戦隊記号等はキット付属デカール貼りの上、クリアーコート塗装。

 三式戦闘機「飛燕」は、大東亜戦争に実戦投入された帝国陸軍戦闘機の中で唯一の液冷エンジン搭載機である。尚、搭載エンジンは、当時同盟国であったドイツ国のダイムラー・ベンツ社が開発した離昇出力1,100馬力のDB 601 Aを川崎航空機がライセンス生産した「ハ40」を採用した。しかし、「ハ40」は、生産・整備共に苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られています。

 本機フォルムからのイメージで、特にファストバック型キャノピーが、メッサーシュミットBf109に類似することや同系統のエンジン(DB 601 A)を搭載していたことから、日本でも「和製メッサー(メッサーシュミット)」とも呼ばれたが、機体設計は、川崎設計陣が独自に行っており、Bf109と大きく異なる点では、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、及び主脚構造等が挙げられる。

 昭和15年2月陸軍は、川崎航空機に「ハ40」を搭載する軽戦闘機キ61の試作を指示。キ61試作機は、同年12月から設計が開始、翌年の昭和16年12月に初飛行し、全くの予想外である591 km/hという最高速度を発揮し、総合評価でも優秀と判定されたため、即制式採用が決定された。しかし、「ハ40」のライセンス生産ベースとなったDB 601は、当時の日本の基礎工業力や資源欠乏から生産が難しい精緻な構造のエンジンであり、また、日本の整備兵にとって液冷エンジンは、不慣れで整備作業自体が難しい等の運用面にも課題が残り、終戦まで多くの問題が発生した。

 愛称「飛燕」について、昭和19年後半に陸軍より発表されたとする文献もあるが、昭和20年1月16日付の朝日新聞において、本土防空に当たっていた飛行第244戦隊の活躍を報じる記事で発表されている。その記事には、「その軽妙俊敏さは、あたかも青空を截って飛ぶ燕にも似ているところから「飛燕」と呼ぶことになった」と記載されているとのこと。

 尚、連合軍におけるコードネームTony(トニー)について、アメリカにおけるイタリア系移民の典型的な名前とされ、当初、アメリカ軍がさしたる根拠なく本機を日本の同盟国であるイタリア空軍のマッキ MC.202のコピー機と誤認したことに因んで名づけられたとのこと。

 本キットにおけるシルバーメッキ仕様は、発売当時の市販塗料による塗装では、再現不可能なジュラルミン無塗装風のキラキラ金属感ある機体を、リアルに作ることが出来る謳い文句でリリースされています。

 本キットのノーマル版は、新金型による2016年のリリース。本キットも2008年に模型業界を「あっ」と言わせた新金型の零戦52型、零戦22型の遺伝子を継ぐ、モールド・ディテールやパーツの合いが非常に良好でサクサク、カッチリと組上がる「神キット」となっています。更にシルバーメッキ仕様のリリースを視野に入れた設計となっており、パーツ接合部を最小限となるパーツ割りやアンダーゲートの導入、そして驚く事にメッキ面の保護と後から上塗り塗装が出来る様にクリアーコートが施されています。

 このタミヤが提案する新しいシルバーメッキ仕様は、今まで難物アイテムとされてきたメッキ仕様キットのイメージを刷新し、製作の難易度が大幅に低減させるアイテムになると思います。ホント凄いです。今回の製作では、更に現代流通のマテリアル・アイテムを駆使し、ワンランク上を狙って試行錯誤を行いつつ仕上げています。尚、詳細については、後日に製作記事をまとめますね。

 追加工作として、定番のマグネット式プロペラの回転+脱着化を施しています。これにより、相反するプロペラの回転可能と抜け落ち防止の両立を簡単に図れます。

 ワンポイント・ウェザリングとして、排気管の排熱による金属焼けとカウル側面部分への排気スス付着表現をタミヤ・ウェザリングマスターにて施しています。

 外観上の追加工作としては、空中アンテナ線をテグスにて設置しています。因みに本機は、操縦室後部にアンテナ支柱なしのタイプです。

 コクピット内について、キットには、パイロット・パーツが付属していますが、今回パイロット・オミットで製作していますので、市販アフターパーツでシートベルトを追加しています。

 キットのコクピット内部は、非常にディテールフルに再現されています。細かいレバー類は別パーツとなっており、色を塗り分けてやるとイイ雰囲気となり、計器パネルもメーター類のモールドが彫刻されており、付属デカールを貼ることで素組みでもリアルな仕上りになります。

 尚、コクピット内部や主脚格納庫内、及び落下式増槽の色について、昭和19年夏以降の生産タイプであるⅠ型丁は、古い考証のインスト指定色(デザートイエロー/黄土色)ではなく、いわゆる「黄緑七号色」なので自家調色した塗料を吹いています。

2023/12/27 日本軍機迷彩塗装考その3~陸軍機色の「黄緑七号色」~
"黄緑七号色"ってどんな色?  日本軍機キットで特に陸軍機を製作する際、機体内面色の指定が製造メーカー別や機種別で異なり、海軍機の様な統一性が無い事にお気付きになられているかと思います。その原因は、陸軍における戦況に応じた時期で指定色が順次...

 あと主輪タイヤについて、接地面を削って簡易的に自重変形加工を施すことで、実機の様に重量感を醸し出しています。また、キットの主輪カバー・パーツ類は、強度を考慮したパーツ割りで、ディテールとの両立を図った良い設計となっています。

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