2023/12/27 日本軍機迷彩塗装考その3~陸軍機色の「黄緑七号色」~

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"黄緑七号色"ってどんな色?

 日本軍機キットで特に陸軍機を製作する際、機体内面色の指定が製造メーカー別や機種別で異なり、海軍機の様な統一性が無い事にお気付きになられているかと思います。その原因は、陸軍における戦況に応じた時期で指定色が順次変更されたのと、戦争末期の混乱で資材・材料不足から機体での機能優先とし、軍指定の塗装色については、間に合わせでも可となったため、製造メーカー主導で塗装工程の省略化等で、指定色以外の塗装で仕上がったためと考えられます。海軍機では、機体内面色として所謂「青竹色」が下地防錆用に塗装され、操縦室内で更に黄緑系の指定色で上塗り(戦争末期ではこの上塗りの省略あり)されています。一方、陸軍機の機体内面の上塗り色(主要な部分、操縦室内を含む)の色調については、一部例外があるものの、概して大戦前・大戦初期の製造機体が「灰藍色」、大戦初期から大戦中期までが「灰緑色」、大戦後期からは「黄緑七号色」に推移しました。

RAF(イギリス空軍)博物館に収蔵・展示されている帝国陸軍 五式戦闘機(レストア機)

 今回は、大戦後期に採用された通称「黄緑七号色」について考察してみます。この「黄緑七号色」とは、正式には「飛色第七号黄緑七号色」と言い、陸軍で制定した「陸軍航空機材料規格 航格第39」に記載された色名です。この色は、現在に残る「航空機材料規格三九」の色見本から、暗いオリーブドラブと確認できますが、当時の塗料に含まれるバインダー(塗膜形成の主要素となる結合剤)の黄変化により、比較的早い時期に褐色に変わる傾向があり、当時この色を実際に見た人達の記憶も「茶褐色」や「カーキ色」と一定していないことから色調にバラつきがあった様です。また、そもそも論として、現在に残る「航空機材料規格三九」の色見本の色調についても、経年変化による変色や当時工場で使用された塗料との整合性(書類添付の色見本は概要説明のための近似色ではないか?)についての疑問も残ると考えます。

いつから"黄緑七号色"は使われ始めたのか?

 この「黄緑七号色」が陸軍機の指定色とされ工場完成機に実施されたのは、マリアナ陥落直後の昭和19年8~9月頃で、B29による本土空襲が予想され、内地の空が戦場と化する危険性を考慮して、機材生産性の向上への合理化や迷彩塗装の見直し化の必要に駆られたからでした。先ず、機体外部色についての検討では、これまでの陸軍指定の仕上げ仕様である、明るい無塗装「銀色」(アルクラッド、またはデュアルプラッドと呼ばれる超ジュラルミンの表面を耐食性のある金属膜でコーティングした「合わせ鈑(いたがね)」を規格化した「SDC」)のまま、または「灰緑色」で工場塗装して完成後に陸軍へ納入。その後、軍内部で「飛色第二一号緑色」と呼ばれる濃緑色などで迷彩塗装(上面ベタ塗り、マダラ塗り)が行われていたが、昭和19年夏以降は、工場完成した時点で機体上面にこの「黄緑七号色」で迷彩塗装を施す方針となる。因みに中島、三菱、立川などのメーカーで製造された機体の下面は、「灰緑1号色」(Mr.カラーNo.128/灰緑色)を塗るようになったが、川崎で製造している「三式戦(飛燕)」や「五式戦」では、無塗装「銀色」のままとなっている。ただし、「二式複戦(屠龍)」の下面色は、継続して「灰緑1号色」。具体的に当時量産中の機体で戦闘機では、「一式戦:隼Ⅱ・Ⅲ」、「二式複戦:屠龍/丙・丁」、「三式戦:飛燕Ⅰ丁・Ⅱ改」、及び昭和19年に生産終了した「二式単戦:鐘馗」の後釜機「四式戦:疾風」、そして「五式戦」が対象となりました。

 次に陸軍機の機体内面の塗色についても、使用塗料を制限する意味合いから、塗料供給が続く限りこの「黄緑七号色」を使用する方針が取られます。因みにこの措置は、機体内面だけでなくプロペラや落下式増槽にまで及び、以降に完成する陸軍機は内外共に「黄緑七号色」一色となりました。しかし、当時のカラー写真が残されていないのと、戦後ずいぶんと経った現代において、その正確な色調は未だ不明であり、僅かに残された現存機から経年変色した塗膜片を頼りに、想像するしか術が残されていない状況となっています。

"黄緑七号色"の色調について検証

 ここから、この「黄緑七号色」の色調について実際に検証を行ってみたいと思います。今回の検証を行うに際し、最も有力な資料となった資料本は、下写真の3冊です。左の「飛燕修復の記録(2018年発行)」からは、国内唯一の現存機や調査を行った残骸機に残る塗装片から復元された機体内外の塗色調査に関するの情報。中央の「飛燕・五式戦(2007年発行)」は、「陸軍航空機材料規格 航格第39」に関する情報を基にした、戦闘機を主体とする軍用機の内外塗装色の色調や経過変更に関する情報。そして、右の「日本陸軍機の塗装とマーキング 戦闘機篇(1989年)」からは、当時の飛行場や製造工場での目撃者談の調査も交えて作成されたカラーチャートの情報を参照しています。

 今回の色調検証する塗料は下写真の3色です。尚、選択した塗料メーカー色は、「黄緑七号色」系の色調と思われる色をピックアップしています。また、今回の検証に当たっては、一つの仮説として意見を述べさせて頂いている旨を予めお断りしておきます。

左:自家調合色、クレオス・カラー(C130)、右:AKリアルカラー(RC330)

 先ず定番のクレオスのMr.カラーからの検証です。この色調は、上写真の3色の色見本比較から分かる様に、最も明度が低くやや緑味のあるカーキ色です。カーキグリーンと言っても良いかもしれませんね。メーカーでは、「濃緑色(川崎系)」と記載がある通り、上写真書籍「飛燕修復の記録」にも記載があった復元に際し、調査した飛燕Ⅰ型丙の残骸に残る上面迷彩色の濃緑色に近いと思われます。また、同書でこの色は、復元された機内色(黄緑七号色?)と比べて彩度・明度共に高いの記述があり、別色と考えることが出来ます。どちらかと言うと製造工場で塗装されたのではなく、陸軍納品後の軍内での塗装色ではないでしょうか。もしそうならば、この色こそ「飛色第二一号緑色」と呼ばれる濃緑色であり、陸軍機における指定色調なのかもしれません。

 次に海外メーカー品であるAKのリアルカラーの検証です。この色調は、上写真の3色の色見本比較から分かる様に、最も褐色度が高いカーキ色です。オリーブドラブと言っても良いかもしれませんね。メーカーでは、「黄緑七号色(オリーブドラブ)」と記載がある通り、RAF博物館の収蔵・展示されているレストア五式戦の機体上面塗装色に近いと思われます。尚、この五式戦におけるレストア作業にあたり同機の機体内部に残っていた塗装片から色調を復元したとのことで、操縦室内もこの色調で塗装されており、正に製造工場から陸軍へ納品されたままのオール?黄緑七号色といった状態で復元されている様です。

 そして最後に新たな仮説として一石を投じたい色調がこの自家調合色です。この色調は、上写真の3色の色見本比較から分かる様に、彩度・明度共に高い暗灰黄緑色です。この色のベースとなっているのは、上写真書籍「飛燕修復の記録」にも記載がある「黄色(主翼前縁の黄橙色)に黒を混ぜるだけの単純な作りの色であったと推測」とある黄色と黒色です。この検証について、戦時中だけに、限られた物資で出来るだけ使用する塗料の色数を抑えて、合理的に塗料の大量生産と製造工場での塗装工程を管理を行っていたと想像するに、確信度が高いと考えます。

 では、具体的な色調はどうであったのか、上写真書籍「飛燕修復の記録」では、かなり暗いカーキ色で復元されていますが、比較的に保存状態が良いとされる機体内部の部材間に残された塗装片から検証・復元したと言えども、この機体におけるレストアされるまでの国内保存状態は、高温多湿の国内における屋外や半屋外での放置期間が長いため決して良いとは言えず、機体の内外共に塗膜の劣化は進み、それに伴う色調変化も進んでいると考えます。また、上写真書籍「飛燕・五式戦」にも記載がある様に「経時変化でどんどん褐色に変わっていく」塗料色であるならば、既に元の色調が特定出来ないぐらい褐色化しているものと考えられます。

 そこで、一つヒントになった資料本があります。上写真書籍「日本陸軍機の塗装とマーキング 戦闘機篇」です。この本に掲載されているカラーチップに「暗灰黄緑色」の解説があり、アメリカの国立航空宇宙博物館(スミソニアン国立航空宇宙博物館)の別館であるスティーブン・F・ウッバー・ハージー・センターに収蔵・保管されている二式複戦 屠龍(丙・丁装備型:終戦時に接収されアメリカ本土へ移送される)の操縦室内に残された塗装色であり、また、防空機の百式司偵や飛燕の一部の操縦室内の色調についても、近似色であったと記載されています。

 この屠龍は、現在もレストア待ちとのことで展示はされておらず、アメリカの乾燥した気候と屋内での保管であることから、日本国内のものと比べて機体の保存状態も良いと考えられます。そう考えると、この色こそが「飛色第七号黄緑七号色」、すなわち「黄緑七号色」の当時色調に最も近い色調であると考えることが出来るのではないでしょうか。因みに調合色は、黄橙色(クレオスC58)+黒(クレオスC2)+クールホワイト(クレオスGX1)で行っています。

 あと余談ですが、昭和19年秋頃で、清州や小牧に展開して防空任務に従事していた陸軍飛行第5戦隊の屠龍の塗装について、上面の色は暗灰緑色(くすんだ濃緑色と灰色の中間色)に塗られていたとの目撃談があり、イメージ的に「黄緑七号色」を連想するのは私だけでしょうか。もしかしたら、製造工場出荷後、軍内では最小限の迷彩塗装に留めて当部隊へ配備したのかもしれませんね。

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