模型を工芸作品に成らしめるものとは? ~“出来映え”は人が創る?それとも・・・~
当サイトの主が、模型製作を通じて感じた事や気付いた事等について、思いつくままに書き綴る「徒然コラム」。第3弾のお題は「模型を工芸作品に成らしめるものとは?」です。
また奇妙なタイトルで話が始まるのかと訝しがられているかと思いますが、今回もお付き合いの程よろしくお願いします。
模型キットの箱を開けて、パーツを切ったり、削ったり、接着したりして人が手を動かし、道具を使い作業するのだから、人が模型を工芸作品に成らしめているのに決まっているじゃないかと誰しもがお考えになると思います。広義な視点で私もそう思いますし、「その通り」とお答えすると今回のコラムが終わってしまいますので、少し観方を変えて工芸作品が醸し出す“出来映えの良し悪し”とは、何が主体となっているかに着目して、考えを述べてみたいと思います。
模型を作る時、飛行機であれば、事前に搭載装備を決めたり、色・マーキング等を決めたりと作品の完成イメージを膨らまして楽しく?悩みながら、手持ちの技法・技術を駆使してよりリアルで魅力的に仕上げるべく、模型作品の“出来映えを良くする”ためにどうするかがしばしば課題になるかと考えます。この“出来映えの良さ”は、主に細部の作り込み精度レベルや、塗装効果の良し悪しに左右されるため、実機への専門知識は勿論のこと、模型の製作技術や知識での高いレベル、並びにアレンジ・応用力が必要となると考えます。具体的には、別売りのレジンパーツやエッチングパーツ等の精確な組込みや置換え、部分的な細部再現には金属線、パイプ、メッシュ、テグス等の身近なものを活用した精度の積上げによる細部の構築、塗装効果では、完成イメージに適した塗装方法(筆塗りやエアブラシ)の選択、特性を考慮した塗料種類の選定、及び色彩計画に沿った塗装手順の検討等でしょうか。これら全てを人が考えて作業を実施していきますので、やはり人が模型を工芸作品に成らしめていると考えるのが妥当の様ですが、よく考えてみると完成作品がイメージ通りに仕上がったケースは、意外と少ないのではないでしょうか。
以前、刀剣研磨師の方から聞いた話なのですが、人の技量は鍛錬次第でドンドンと向上して行くが、いずれ限界点(人間技としての)に達して他の到達者と並んでしまい、もうこれ以上の伸び代が無くなってしまうとのことです。しかし、研ぎの出来映えには依然差があって、この高次元での差は道具の良し悪しで決まるのだと言うのです。これは言い換えると「人間の自我を押さえて道具自身にどれだけ仕事(良い研ぎ)をさせるか」の差が出来映えの差につながる事を意味します。だから職人は、常に良い道具を求めるのだと・・・。
この話を聞いた時、なるほどと納得してしたことをよく覚えています。それは、道具を理解し適切に使うことで作業自体が楽になって、仕上りが良くなった経験を思い出したからです。この「道具を理解すること」とは、具体的には道具に無理や少しでも傷める様な使い方をしない気を配ること、「適切に使う」とは、道具が主体で仕事できる様に人が補助の精神で作業することだと考えます。そうすることで、道具からも新しい景色(表現や効果)を見せてもらうこともあったりします。そう考えると、模型を工芸作品たらしめている最大の功労者は、人ではなく道具なのかも知れません。ですので、このコラムの結論として「模型を工芸作品に成らしめるものは、道具の仕事(出来映)が創る」という考えを提言致します。
因みに高練度の技術者(職人)は、市販の道具のままで使うことは少なく、自分用に加工や改造(または自作)して作品製作での要所要所で効果的に使われていることを良く聞きます。
以上
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