脱皮する屠龍~三“味・立”体~(2023年)

1/32スケール
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川崎 キ45改丁 帝国陸軍 二式複座戦闘機「屠龍」 

◆作品概要◆
【キットメーカー】造形村
【スケール】1/32
【機種タイプ】川崎 キ45改丁「屠龍」
【作品の完成】2023年11月

 操縦室内のディテールアップ(コクピットパネル/メーカー・アフターパーツ使用)、射爆照準器のディテールアップ。発動機点火プラグ線の追加。プロペラの磁石脱着加工。アンテナ支柱、ピトー管の自作による金属化。各所機関砲のディテールアップ(真鍮挽き物/メーカー・アフターパーツ使用)。主翼内の構造部材の自作追加。アンテナ空中線張り。神輿機体の外装クリアーパーツの透明度アップ研磨・処理。台座機体のフルリベット打ち。塗装について、神輿機体のシルバー塗装は、数種色味変え塗色。台座機体の外装迷彩は多重グラデーション塗色。国籍標識は塗装、コーション・ステンシル類はデカール使用。

 単発機より航続距離が長く、爆撃機に目的地まで随伴して護衛することができることを期待し、航空先進国である欧米の航空技術者達は、「双発万能戦闘機」の確立に向けて、しのぎを削る開発を1930年代半ばから1940年(昭和15年)頃にかけて盛んに行っていました。

 これは、一般に双発機が単発機に比べて運動性に劣るが、目指す「双発万能戦闘機」では、二基の大出力エンジンを用いることで、単発機を上回る出力と高速性能を得て不足する運動性を補い、多数の武装(機関銃/機関砲)を機首に集中配置出来ることから、攻撃力の増大が見込まれるのと、武装の一部をカメラに換装すれば写真偵察機にも転用可能と、作戦運用上でも一石二鳥化、三鳥化を見込める。正に「万能」な戦闘機の出現を夢見て開発に力を入れていた時代背景があったからでした。

 また、二基エンジン配置により大柄化する機体を想定し、搭載能力の向上化を図り小型の爆撃機や攻撃機として、単発機より多くの爆弾やロケット弾を搭載することができ、かつ航法装置や強力な通信機を積載した上で、複座化にして後部乗員を航法士・通信士とすることで嚮導(きょうどう)機・指揮機とすることもできると期待されていました。

 その結果、開発された機体として、一機種で戦闘・爆撃・偵察・指揮など何役もこなせる効率的な機種として、P-38 ライトニング、メッサーシュミット Bf110やポテ 631といった機体が次々と出現します。

 この流れに乗るべく帝国陸軍は、1937年(昭和12年)に主要航空機メーカーへ対して双発複座戦闘機の研究開発を命令します。その中で、川崎造船所(のちの川崎航空機)に対して、開発名:キ38で研究開発を命じました。

 川崎におけるモックアップ段階で研究開発を終えたキ38に対して陸軍は、引き続き開発を進めるべく、同年12月に実物の試作機を作る目的で、改めて川崎に対しキ45の開発を命じました。これに対し、川崎は井町勇技師を設計主務者に据えて作業に着手、1939年(昭和14年)1月に試作1号機が完成します。しかし、キ45の性能は陸軍の要求に遠く及ばず、装備された発動機(ハ20乙)は、馬力不足なうえに故障が続出、機体ではナセルストールを引き起こすという問題が解決出来ない状態となりました。

 これにより、キ45は不採用となったが、双発万能戦闘機の実用化を強く要望する陸軍は、更なる開発継続を川崎に命じます。川崎ではこれを受けて、搭載する発動機を実績のあるハ25に換装することを決め、設計主務者を土井武夫技師に代えて開発作業を再開します。

 ハ25装備の機体は「キ45第一次性能向上機」と呼ばれ、テスト飛行で好成績を示したため、増加試作機を8機製作したが、継続する機体問題のナセルストールの引き起こしに対する解決方法を見いだせず、実用機としての判定では、不採用となりました。

 ここに来ても陸軍は、未だ双発万能戦闘機の開発を諦め切れずにいたため、1940年(昭和15年)10月に発動機をより強力なハ102(離昇出力1,080HP)を採用する条件とし、キ45をベースにした「第二次性能向上機」の試作を川崎に命じます。この状況を打開すべく川崎は、方向転換のためキ45に見切りをつけ、ベース機体を1940年(昭和15年)5月に完成したばかりの九九式双軽爆撃機の基本設計を流用して全くの新設計としました。

 この方向転換により、問題のナセルストール対策としては、エンジン・ナセル取付け位置を主翼中心よりも下方に配置するなどの調整を行ったため、一応の解決ができました。この改良機体には、キ45改の名称が与えられ、試作1号機は1941年(昭和16年)9月に完成。各種飛行テストが続けられ、1942年(昭和17年/皇紀2602年)2月に二式複座戦闘機として制式採用されました。

 本機の愛称である「屠龍」について、よく本土空襲に使用されたアメリカ陸軍爆撃機B-29を「龍」に見立てて、それを邀撃し撃墜する様が龍を屠(ほふ)るが如くイメージされ「屠龍」と名付けられたと言われることがありますが、史実では、1944年(昭和19年)のフィリピン航空作戦で、戦功を上げたとして新藤常右衛門中佐(当時)あてに発給された同年11月23日付の陸軍省感状の冒頭、「屠龍の気魄烈々・・・」にあやかったもので、同月26日に新聞紙面においても公開されています。因みに実戦部隊では二式複戦、キ45などと呼ばれた他、乙・丙型を襲撃機として運用した襲撃部隊においては、二式襲撃機と呼ばれていました。また、一部の部隊においては、丙型を二式複戦改と呼んでいました。(引用:Wikipedia)

 本キットは、2018年12月22日発売で、現在(2023年)も「屠龍」における唯一の1/32スケール・キットです。キット・メーカーのたゆまぬ開発技術の蓄積により、各部のディテールはもちろんのこと、パーツの合いも良く、精度の良い工作さえ行えば、カッチリと組上がります。以下、簡単ですが本作品について解説します。

 まず、本作品について、構想3年間、製作期間3ヶ月間、そして設計3日間を経て、製作コンセプトである「キットの持ち味を生かす」べく、外装の余剰パーツも使って外装迷彩・外装マテリアル・スケルトン(内部メカ)の三つの要素を同時に、かつ立体的にまとめて表現した「三位一体」・・・、もとい「三“味・立”体」仕上げとして製作しています。本土防空戦能力向上化に向けて丙型(台座部分)から丁型(神輿部分)への改良・進化を龍の「脱皮」イメージにて表現しています。

 操縦室内の計器盤のディテールアップとして、メーカー・アフターパーツ(カラー・エッチング)を使用しています。その他ディテールアップとして、射爆照準器のガラス部分は、キットパーツを使用しないで、自作の0.2mm厚透明プラ板に置き換えています。尚、十字照準リングは、メーカー・アフターパーツ(カラー・エッチング)を使用しています。

 空中アンテナ線の支柱は、真鍮線を叩き出し+削り出しにて自作しています。

 機体左側胴体には、搭乗員が乗降りするための手掛け・足掛けについて、キットパーツを使用していますが、機体への接続は金属線にて補強を行っています。

 台座機体の全面には、手打ちによるリベット・モールドを追加しています。また、仕上り塗装は、多少ヤレた退色感の伴うイメージを再現するため、多段階グラデーション塗装「カスケード塗り」に準じた半艶し仕上げとし、更に油彩ドットリングによるエイジングを施しています。

 空中アンテナ線は、市販の0.2mm径の黒色ナイロンテグスを使用しました。尚、尾翼のアンテナ線の取付け基部は、極細金属線をよじって制作し取り付けてあります。

 発動機には、点火プラグ線を極細の金属線を追加しディテールアップしています。因みに主脚のブレーキホースは、キットパーツにて再現されています。

 主翼内の構造部材は、キットでは省略されていますので、プラ板等で自作追加しディテールアップています。

Fine

2023/07/29 製作記事~1/32 屠龍丁型(造形村)~#01
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